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今日は晴れているのに風が冷たいです。

日陰で信号待ちをしていると耳が痛いくらい。

こんな風の中、受験生達は頑張っているのですね。

携帯のニュースに、「アントニオ猪木さんが受験生を応援!」とか。

「明日は受験です。」というコメントを読むと、受験シーズンを感じます。


私が受験生だった頃、「何の為に勉強するのだろう。」とよく考えていました。

そんな事を考えている時間があるなら勉強しろというところですが、よく考えていました。

授業中に先生が、「ここが間宮海峡です。」と言った時、隣りの学友がボソリと、「俺の一生の中で間宮海峡という言葉を使う機会は無ぇ。」と言っていたのがヤケに印象に残って。


確かにそうなんですよね。

まぁ、私の場合は日本全国を巡る仕事に就いたので「間宮海峡」を使う機会はありましたが。

学友と先生に感謝。


‘何の為に勉強するのだろう’

たぶんあの頃の私の答えは、「より多くの選択肢を得る為。」だったと思います。

自分が何になるかわからないから、何かになりたいと決めた時により多くの選択肢がある場所からスタートしたいから。

でも、受験が終わっても勉強は続き、今も勉強は続いています。


今の私の答えは、「不死ではないから。」

もし私が不死だったら勉強と感じる事は一切しないでしょう。

全ては経験でまかなえるはず。

でも私は不死ではなく限りがある。

だから、その限りの中で出来るだけ多くの事を感じる為には経験だけでは時間が足りないから。

色々な事を知りたいから。


何だかこう書くと、勉強=知識みたいですが、そんな感じではないんです。

それも正解なんだけど違うんです。


例えば、前の記事の、「冬はつとめて」

枕草子をうろ覚えていたのは知識だけれど、それを知っていた事で時空を超えて平安の時代を感じられた事。

経験出来ないはずの感覚を得られた事。

それが嬉しくて楽しいんです。


例えば、私は随分以前に自宅のトイレを自作した事があります。

諸事情あって、我が家のトイレは壁もドアも無かった時期がありまして..。

その時に、「ドアってどうやって付いているんだろう?」と思ったわけです。

今まで、何億回もドアを通って来たけれど、ドアがどうやって付いているかなんて考えた事も無く通って来ましたから。

改めてドアを見ると、ドアって色んな付き方をしているんです。

まぁ、そんなわけでドアの取り付けに関する本を読んだり、知り合いの大工さんに教えてもらったり。

‘勉強’をしたわけです。

おかげで、ドアは無事に付き、壁も出来て、壁紙なんかも貼ったりして、無事にトイレは完成しました。

めでたしめでたし。


ではなくて..。

勉強をしたおかげで、今まで何億回も何も感じ無かった事に何かを感じられるようになった事。

それが嬉しいんです。


今、私が勉強をするのは何かに出会った時に沢山の事を感じたいから。

四角にしか見えていなかったものが、横から見たら三角だったり、上から見たら丸だったりするから。

そんなものは無いと思いますか?

いいえ、これは実際にある立体。

これ数学の問題です。



限りある時間の中で多くの世界に出会いたい。

出会った事に気が付きたい。

多くの世界を感じる為に。

一つの世界を深く感じる為に。



今は勉強が凄く楽しいです。

「勉強は一部分なんだ。」と感じられるようになってから特に。

数学は数学、国語は国語、歴史は歴史と切り離されたものではなく、頭、胸、お腹みたいに全ては繋がっていて、それら全てによって心が動くみたいに。


う~ん..。

上手くまとまりません。

ブログを書き始めた時は、全く違う事を書こうと思っていたのに。


つまりは、

楽しい方がいいから過程も楽しい方がいいって事。

「これしか無い。」より、「これがある。」の方が好きって事。

バナナパウンドケーキは一晩置いた方がしっとりして美味しいらしいが焼きたても美味しいって事です。


妻に教えてもらってお菓子作り勉強しようかな。



ではまた。